ちょこっと勇気 (acting with courage)

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こんにちは。0721.jpeg
翻訳 ACN の櫻井です。
東京では蒸し暑い気候と格闘しています。特に朝の通勤電車の中では、
肉体的、精神的な格闘があります。

電車の座席に運よく座れる時、最近「よっこいしょ!」と言っている自分にびっくりします。
ありゃ、また言ってしまったと後から認識はするのですが、時すでに遅し。
なぜか発する言葉の先頭文字は「ど」ではなく「よ」なのですが・・・。
(この違いはまたの機会に・・・。)

さて、その発声のあとに、僕がすることは、本を持っていれば読みだすのですが、
本がないときはたいてい目を閉じてしまいます。
特になんとなく対面の座席と近いような気がする大江戸線ではそうです。

それは何故かというと、向かい合った席にやはり乗客がいて、
視線をそらしつつ顔だけ真っすぐ見たり、目が合うと視線外しに何度も同じ吊革広告を
見てしまう自分の所作のぎこちなさに、ちっちゃな自己嫌悪を覚えるからです。

僕はいつも、車両の真ん中、すなわち向かい合う座席とのちょうど真ん中に、
間仕切りの雲りガラスでも設置してくれないかなと真剣に思っています。

自意識過剰と言えばそうかもしれないですが、向かいあった乗客との「にらめっこ」は
大の苦手なのです。そんな内気な僕の所作をさらにぎこちなくするのが、
座席を譲るべきか譲らざるべきかの判断に迷う人物が僕の目の前に立ったときです。

明らかに自分の父母や祖父母の年代、ちょっと失礼な響きのする「後期高齢者」の方に対しては、
すぐさま席を立つのに躊躇はないです。

ただし、"前期"(?) 高齢者の方に対する判断が難しいのです。
譲るべきか、譲らざるべきか?勇気をだして譲ろうとして「僕は大丈夫。」、
「有難う。でも結構ですわ。すぐ降りますから」などと丁重にお断りをされて、
上げた腰をもう一度座席にくっつけるときの、間の悪さ。

正面に見え隠れする対面の人と目があったときのバツの悪さ。
悪いことをしようとしたのではないのだから、堂々ともう一度座ればいいのですが、
内気なひとは、そう。その自分の判断自体におどおどしてしまう。

しばらくして僕の目の前に立っていた乗客は下車します。
また間仕切りがなくなり、にらめっこ再開です。そしてその対戦相手との視線外しのために、
意味もなくまた同じ吊革広告を見つめてしまうことに・・・。
ちょこっと勇気が欲しい今日この頃です。

では、また。
(櫻井)

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このページは、翻訳のACN スタッフブログが2016年7月21日 16:55に書いたブログ記事です。

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